charrita

top project products snap catalog blog contact

Asi es la vida

 


今朝は ショッキングなニュースと共に。



正直言えば、ショッキングというか そうか  そうだよね・・  という


安心感の方が強かった感情。





charritaを始めて早8年目に突入したのですが 


スタートは勿論オアハカから。



右も左もまっさらの  言葉だって何も分からないままスタートしたこのプロジェクトは


始めは私一人から エリアス君も仲間に加わって そして


生産者や技術の有る職人さんをどうやって見つけるか どうやって進めていくか。


毎日毎日があっけなく過ぎ 何も形にならないまま これでいいのか これでいいのかと


自問自答の日々がずーーーっと続いてスタートしたcharrita。





そんな中 一つのきっかけがあって あるファミリーと知り合う事になります。


一通の殴り書きの せいぜい読めるか読めないかの名前と電話番号。



これを伝って オアハカ中心地から1時間半程のこのファミリーの家を訪ねる事に。




おせじでも こんな所に人が住んでいるの? という劣悪な環境にその住居はあり


おっかなびっくりだった記憶と もう一度来い!って言われても行けないよ・・


という覚えにくい場所だった事を鮮明に覚えています。





そのファミリーと知り合い 主にご夫婦と仕事がスタートする事になりました。


ご夫婦は いいお父さん お母さんという世代 見た目は初老のご夫婦。


後々知って行けば 文字もうまく書けないのが納得 中学をやっと出ている位の育ちの


の人達でした。



ところが 気付いてみれば この人達に惹き付けられた私達


それは このご夫婦の「心」でした。


最初は食い違う事 多々有りました。


でも  真面目にひたむきに謙虚に  真っ向から食らいついて どれだけやり直しがあっても


どれだけ大変な作業でも 絶対放棄する事の無かった 


charritaの右腕的なご夫婦でした。




奥さんの方が 結構な頭脳派で経験者でもあり。


旦那さんは 優しさゆえ 時折言う柔らかいジョークと共に 田舎の男らしく責任感が強く


バックでいつも奥さんを支え見守っている  でこぼこが丁度いい具合の


大好きな人達でした。






こちら側が日本向けに作ろうとしている内容や


細かいディティール 拘るポイントなどを 結構分かってくれるので


オアハカでのcharritaの縫い物は全て彼女にお願いしていました。



これが あの環境の中 奇跡的に生まれた関係性で 年齢は違えど友情にまで


発展していたと思います。




私達がメキシコシティーへ引っ越す事が どうしても言えなかった。


彼らはとても悲しみ  引っ越しの当日迄も  御見送りをしてくれた。


思い起こせば 毎年日本へ出張に行く前日も いつも手作りでこしらえた


日本の両親や友達へのお土産とか そういうのを


いいよって言っても 必ず家迄持って来てくれたんだった。 





そんな彼女は 出会って仕事が動きだした2〜3年後に


持病の糖尿病が悪化し 一線から退く事を虐げられます。


幾度に渡る手術、闘病生活など 食事療法も含め いつも状況を聞きながら


自分に出来る事をと いつも寄り添っていました。



私達がメキシコシティーへ移った直前では もう透析にまで進んでいた末期状態。


それでも 仕事でオアハカへ訪れる前には 


「何が食べたい? モーレ? アイスクリーム? 何でも用意して待っているから


  気をつけて早く帰って来なさい!」と


本当の父母の様な存在で 本当に可愛がってもらった・・・・



最後に有ったのは 去年の今頃。


大きな仕事でオアハカへ出張に行き  何日も掛けてこのファミリーのお宅で


連日作業をこなす。


勿論この奥さんは もっともっと進行していて寝たきりの薬付け。


一日8回に及ぶ透析という 目も当てられない状況だった。



その時 今後 もうこの人と一生会えないような気がして


とても哀しくなり 初日の夜にホテルで号泣した。




でも彼女は 生命力の強い目を持つ charritaの仕事の時の様に


絶対に諦めない人で  こんな状況にも関わらず 2015年の2月25日迄


精一杯その人生を成し遂げました。




ここ数日 彼女がふと 自宅での作業中に何度もよみがえり。


旦那さんの方に連絡をとってみると  2/25日に天国へ行ったよと。



話をする旦那さんも いつも通り穏やかに 


そして 彼女が亡くなる一日前に


「chihiroと電話で話したい」と言い 私達両方に電話を掛けたが 繋がらなかったと。


二人とも掛かって来た形跡が無く 悔やまれたが。


でも それもそれ。 そういう事だった。





私をいっぱい支えてくれ charritaをいっぱい成長させてくれたこの奥さん。



昨年暮れの自分の父に継ぎ  またしても大きな人を失った。



本当に 自分の中で大きな転機の時期なんだなあって。






彼女の死は オアハカに行ってその環境に触れる事で いっぱい思い出が蘇り


家族の面持ちや 残された旦那さんの事とか


顔を見てきちんと感じたい。



家族も一丸となって 彼女の看病に撤し そのひとかけらの場面で


私達も共に過ごせた事が 私のメキシコ人生の中で とても大きな事で




夜中まで残って仕事をした 彼らのお宅から オアハカの自宅迄帰る


真っ暗な国道。


いつも、事故が起こりません様に・・・ と 助手席で 眠くても寝れなかった事。


気をつけて ゆっくり運転するんだよ って 本当のお父さん お母さんのように


エリちゃんの事なんて 本当の息子同然。


遠く離れた別世界から来た外国人の私でさえも とーっても可愛がってくれた。


とっても信頼し合える関係だった。





残されたご家族の寂しさも分かるし


きっと やっと辛さから解放されたね 安らかにお休みって




私も訃報を聞いて  悲しみよりも 解き放たれた苦悩の方が先に訪れた。



だって あの本人の苦悩を知っているし


旦那さんのあの献身な姿も 涙無しには見られない程だったから。




家族の皆さん 本当にお疲れさまでした。





今の仕事が落ち着いたら 早くオアハカに行きたい。


料理上手で もう食べられない彼女の作る家庭料理 特にバリエーションに富んだサルサは


オアハカ一だって思ってた。



毎年日本から戻ると、日本使用のお財布とかお土産をいつもあげていて


いつも健気にそれを日常で使っていてくれていた。




彼女の大好きだった甘いものと 新しい日本の物でも持って


お花を手向けに。




もう彼女の声は聞けないけど 声を忘れる事は一生ないよ。




Asi es la vida = 人生とはそういうもの































コメント
コメントする








   
この記事のトラックバックURL
トラックバック

calendar

S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< July 2019 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

recent trackback

search this site.

others


(c)charrita